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即時攘夷から未来攘夷に転身した吉田松陰、そこからわかる下田渡海事件の真相


即時攘夷から未来攘夷に転身した吉田松陰、そこからわかる下田渡海事件の真相


 

幕末維新史探訪2023(18)吉田松陰の対外思想ー長州藩を左右した世界観の彷徨③


2023.6.28(水)町田 明広





吉田松陰と金子重輔像(下田市) 写真/フォトライブラリー





(町田 明広:歴史学者)


◉吉田松陰の対外思想ー長州藩を左右した世界観の彷徨①
◉吉田松陰の対外思想ー長州藩を左右した世界観の彷徨②


即時攘夷から未来攘夷に転身した松陰


 吉田松陰は、ペリー再来航時(1854)に「墨夷膺懲」(夷狄であるアメリカを征伐してこらしめること)を志し、ペリーを刺殺することを計画した。つまり、即時攘夷を実行することを決心していたのだ。



 にもかかわらず、松陰はそれを思い止まり、即時攘夷から未来攘夷に転換し、下田渡海事件を起こした。転換した理由として、通商は回避したものの、日米和親条約が締結された事実があった。松陰がペリーに危害を加えることは、国際問題になり兼ねない行為であることを、自覚していた可能性は十分にあろう。


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