これでいいのか?戦後日本「より良き日本を取り戻そう」

織田・徳川連合軍と武田の戦い「長篠合戦」「設楽原合戦」どちらが正しい?


織田・徳川連合軍と武田の戦い「長篠合戦」「設楽原合戦」どちらが正しい?


 

「どうする家康」で登場、共に戦いが起きた場所の地名でも、どう違うのか


2023.6.21(水)西股 総生




長篠城跡 写真/フォトライブラリー




(歴史ライター:西股 総生)


なぜ、呼び方が分かれるのか?


 1575年(天正3)の5月に、織田信長&徳川家康の連合軍が武田勝頼を破った長篠合戦。大河ドラマ『どうする家康』がこの合戦に差しかかったタイミングで、各種ウェブサイトも関連記事でにぎわっていますが、記事によって「長篠合戦」「設楽原(したらがはら)合戦」と呼称が一定しません。



 歴史上の合戦や会戦は、起きた場所の地名を取って呼ぶのが一般的です。たとえば、「石橋山合戦」「関ヶ原合戦」「鳥羽・伏見の戦い」、世界史に目を広げてみても「赤壁の戦い」「ワーテルロー会戦」「クルスク戦車戦」といった具合です。


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