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なぜ織田信長は残忍になったのか?延暦寺焼き討ちと「覇王」誕生の理由



なぜ織田信長は残忍になったのか?延暦寺焼き討ちと「覇王」誕生の理由


足利幕府を自ら滅亡させたことで失った、信長の政治的アイデンティティ


2022.11.8(火)乃至 政彦





織田信長像 写真/アフロ

(歴史家:乃至政彦)


※この記事は、シンクロナスで連載中の「謙信と信長」の記事を一部抜粋して再編したものです。より詳しい内容は同連載をご覧ください。


比叡山焼き討ちの理由


 元亀2年(1571)9月12日、織田信長は近江比叡山・延暦寺を焼き討ちした。



 この焼き討ちはあくまでも、信長と(第一次)織田包囲網の私戦であった。


 しかし信長と比叡山は、もとから私的な対立があったわけではない。はじめ比叡山は、将軍・足利義昭を打倒する陣営として織田軍に攻撃したのだ。言うなれば、「足利義昭包囲網」である。信長は義昭を支える大名としてこれに立ち向かった。


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