これでいいのか?戦後日本「より良き日本を取り戻そう」

「まわりにある空気がきれいな男」滝田栄、三浦友和、大沢たかお


「まわりにある空気がきれいな男」滝田栄、三浦友和、大沢たかお


いずれも考えが澄んでいて自分を律する男だ


2022.10.5(水)勢古 浩爾






大沢たかお(カンヌ国際映画祭で、写真:ロイター/アフロ)





(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)


※本稿は『ただ生きる』(勢古浩爾著、夕日書房)より一部抜粋し、大幅に加筆したものです。


 いまどき、「男は」とか「女は」などといいだすと、なにかと問題の種になりかねない。「男性」「女性」といわなければならない。ましてや「男らしさ」だの「男の中の男」などといおうものなら、とても無傷ではすみそうにない。だれが決めたわけでもないのに、なんとなく禁句めいているのだ。いま「男」や「女」という言葉が使われるのは、犯罪者を呼ぶときぐらいだけである。



 しかし口にしないだけで、男や女の意味がなくなったわけでは、もちろんない。現に男女は存在しているし、わたしは常々頻繁に、「ばかじゃないのか、この男は」とか「なんなんだ、この女は」などと、内心で毒づいている。


>>続きを読む