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落馬事故による頼朝の死の真相とは?『吾妻鏡』空白の3年間の謎


落馬事故による頼朝の死の真相とは?『吾妻鏡』空白の3年間の謎


鎌倉殿の時代(25)頼朝落馬事故の真相とは?


2022.6.27(月)西股 総生




鎌倉の頼朝墓所。石塔は江戸時代に島津氏が建てたもの。撮影/西股 総生(以下同)




(城郭・戦国史研究家:西股 総生)


頼朝の最期はどのようなものだったのか


 1199年(建久十/正治元)の1月13日、源頼朝は鎌倉で没しました。前年の暮れ、相模川の橋の落成記念式典から帰る途中で馬から落ち、それが元で亡くなった・・・ということに、歴史上はなっています。



 けれども、頼朝の最期が本当はどのようなものだったのか、詳しいことはわかっていません。なぜなら、鎌倉幕府の公式歴史書である『吾妻鏡』に、頼朝の死についての記述がないからです。いえ、それどころではありません。


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