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関ヶ原合戦を引き起こした人物、上杉景勝の事前工作


関ヶ原合戦を引き起こした人物、上杉景勝の事前工作


真説・関ヶ原合戦(4)


2021.9.15(水)乃至 政彦





上杉景勝像




(乃至 政彦:歴史家)


(1)関ヶ原合戦を引き起こした「直江状」は本物なのか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62031
(2)石田三成は関ヶ原で笹尾山にはいなかったって本当?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62057
(3)石田三成に徳川家臣・本多忠勝はなぜ頭を下げたのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62093


庚子争乱を起こした人物


 いわゆる関ヶ原の戦い(庚子争乱)は、徳川家康が会津の上杉景勝を討伐するため、下向したことにより始まった。毛利輝元を公儀の盟主とする西軍が大坂城を保護、上方を押さえて、家康率いる東軍の撃滅に動いたのである。



 ところで会津討伐の契機は、家康の野望にあると見るのが現在の主流で、景勝が謀反を企んでいたとする論考はほとんど見られない。


 わたしはこれに疑問を抱いていた。謀反や反乱を企てる者は、その動機をできる限り明らかにすることなく動くのであり、しかも最後まで理由を明確にしない例が多い。それどころか現代の目から見て、どのような必然的動機があって反逆したのか不明なものばかりだ。例えば、松永久秀や惟任光秀の挙兵理由は、いまだによくわかっていない。


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