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長篠の合戦とミッドウェイ海戦にみる決戦の構図


長篠の合戦とミッドウェイ海戦にみる決戦の構図


長篠合戦の真実・番外編


2020.10.23(金)西股 総生





(イメージ)




(城郭・戦国史研究家:西股 総生)


まったく違う二つの事件の共通点


 ミッドウェイ海戦の話(前編後編)に続けて、長篠合戦の話(前編中編後編)を書いたのには、わけがある。時代も場所も性格もまったく違う二つの事件は、実は「決戦の構図」という意味では、よく似ているからだ。



 長篠合戦は、武田勝頼が長篠城を攻めることによって徳川軍の主力を引っ張り出し、一気に叩きつぶそうとしたことから起こった。一方のミッドウェイ海戦は、日本艦隊がミッドウェイ島を攻撃することによって、米空母部隊を引っ張り出し、叩きつぶそうとしたことから起こった。


 敵の拠点を攻撃することで脅威を与え、救援のために出てきた敵主力を一挙に叩く。実は、戦国時代には、こうした図式で起きた決戦が、いくつもある。


 たとえば、武田信玄上杉謙信の間で計5回戦われた川中島合戦のうち、最大の激戦として知られるのは、1561年(永禄4)の第4回合戦である。このときは武田軍の前線基地であった海津(かいづ)城を上杉軍が圧迫したため、信玄が救援のために出陣し、両軍の主力どうしがマトモに激突することとなった。謙信は、最初から武田軍に決戦を挑むつもりで川中島に出陣し、海津城を圧迫したのである。

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