【歴史の転換点から】大獄に死す-松陰と左内の「奇跡」(4)本当に彼は刑死前に泣いたのか




橋本左内像。りりしいがどこか悲しげである=福井市左内町の左内公園(関厚夫撮影)


 〈斬首役人が白刃を抜き、左内の背後へ廻って、/「よろしいか」/と声をかけた。すると左内が突然、/「しばらく待て-」/と制した。/そして、ああ…じつに左内は、双手で面を蔽(おお)いながら流泪(るるい)滂沱(ぼうだ)として泣いたのである

山本周五郎が描いた「左内死す」の瞬間

 国民作家、山本周五郎が昭和10(1935)年に発表した『橋本左内』の一節である。ときは安政6(1859)年10月7日(旧暦、現在の11月1日)、場所は江戸・伝馬町牢屋敷の刑場。「安政の大獄」に巻き込まれ、評定所で死刑を言い渡された数えで26歳の越前福井藩士、橋本左内が絶命する直前の描写である。

 この短編評伝で周五郎は次に「左内は死を悲しんで泣いたか?」と読者に問いかけたあと、即座に「いや!」と断言し、以下のように続けている。


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