【国難を乗り越える 日本書紀】幕末の志士を奮い立たせた「天皇中心の歴史観」 『日本書紀』を取り戻し、命がけで国難に立ち向かう原動力に




『大日本史』を編纂(へんさん)した徳川光圀の像=水戸市

 


 『日本書紀』は成立以来、日本の正史としての地位を占めたが、『日本書紀』に基づく価値観・歴史観を失いかけた時期は戦後だけではない。江戸時代は、幕府により儒学が公式の学問とされ、仏教が統治の一翼を担っていた。


 例えば、江戸中期の代表的儒学者の一人、太宰春台(しゅんだい)は、神道が日本固有の信仰であることを認めず、『弁道書』(1735年)で、「今の世に神道と申候は、仏法に儒者の道を加入して建立したる物」などと評した。



 


 




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