エルピーダメモリの破綻が示唆する日本の問題 2012


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 この問題から浮かび上がるのは、日本政府、企業供に変化に対応する能力がなっかたと言う事だろう。


模倣、追随、利益追求。右肩上がりの経済の時はそれで済んでいたのだろう、が日本で進んでいたのはハード部門


 


 ハード部門だけだった、ソフトもハード部門関連ソフトは無いと思う、私は全てにおいて専門知識は殆どない。


思いつくままに書いている、ここでまた戦後の総括の話になるが、敗戦国の総括なくして、その国の目的はないだろう。


国家の繁栄、それは「何のために」この部分がかならず抜け落ちる。


 


 「どのような国にする為に」抜け落ちてるのはこの国家観だ。政・官・財・学・報・評・識・・・云々、殆ど誰も語ることはない。総てが国の為、国益の為に一言なのだ、その先は語らない、語れる訳が無いだろう。政から民まで国民の共有する国家観が日本にはないのだから、先ほどの国益も、考えて・・


 


 考えてみて下さい。政治家の数だけ国民の数だけあるのではないですか?


それが罷り通る日本、不思議と思われませんか?。


さて、国家としての目標が無いのですから、当然各個前進、バブルまでは、国家観など無くても、追随、企業力だけで十分いけた。


それも数十年、ここに政・財ともに妄信と驕り


 


 怠惰が生まれたのではないでしょうか?本来のソフト国家戦略、戦術は忘れ去られ、個別の企業戦略のみ、空白の20年、これは来るべくして訪れた。


企業の官庁化もそうでしょうが、官庁のサラリーマン化、これは国の為に働いている自覚の希薄化、一億総マイナー思考に陥ってしまった。


 


 戦後数十年のに大げさに言えば、誰も国の為に仕事をしなくなったしまった、


共通の国家観なし=共通の判断基準なしと言う事なのですから。


しかも米国追従、国家の意思もない、これで外敵に勝てるわけが無い。


今の政治化のお歴々はこん単純な理屈も解せなくなっているのでしょうか?


韓国のサムスン


 


 サムスンを見れば一目瞭然ではないでしょうか?


日本産業世界で敗退、最大の原因は、戦後の総括なしで国家観、国家の判断基準がない、


従って国家防衛、企業防衛意識も希薄、欧米資本流の追随。


拡大、利益、効率、グローバル化が日本に合うのか。


判断基準を失った日本には全てに良し悪しの判断は不可


 


 政・官・財・識・・・云々。


頭の数だけ判断があり、国家としての共有判断がなし、特に政治の善し悪しは語る術もない。


日本国民、このことに気づきもしなし、意識もなし。


国はあって当たり前?


果たしてこれからはどうなんでしょうか、


今迄はたまたま世界情勢が許していただけかも知れません。私観