皇室の「藩屛(はんぺい)」の再建が喫緊の国家的課題である事を、本欄を借りて筆者が説いたのは平成15年11月が初回だつた。高円宮憲仁親王の薨去(こうきょ)一年祭といふ機会を捉へて夙(つと)に胸裡にあつた年来の所懐を述べたのであつて、それが今から19年の過去の事になる。
旧皇族復帰の特別措置法を
「藩屛」の再建とは具体的に言へば昭和22年10月に米占領軍の皇室解体政治工作の第一打として臣籍降下を余儀なくされた、当時の皇族11宮家のうち、男子の御子孫を有してをられる4家に皇籍を回復して頂き、つまり皇族といふ氏族集団を再建しなくてはならないとの要請に出た提案だつた。
初度の拙稿の直接の動機は高円宮殿下の過労を危惧し仕(つかまつ)つてといふ事にしてあるが立論の目的は当然ながら皇位継承権を保有せられる皇族男子の数を確保しておかなくてはならない、との切羽詰つた要求だつた。当時はまだ秋篠宮家に悠仁親王の御誕生を見てゐない時期だつたからである。