かつて日朝両政府が推進した在日朝鮮人とその家族を対象にした「帰国事業」。1959年からの25年間で9万3000人以上が「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮に渡航したとされる。その多くは極貧と差別に苦しめられた。両親とともに1960年に北朝鮮に渡った脱北医師、李泰炅(イ・テギョン)氏の手記。
(李 泰炅:北送在日同胞協会会長)
私は1952年、山口県下関市大和町東山1丁目で生まれた。両親は韓国の慶尚北道慶州(キョンサンブクド・キョンジュ)から日本に渡った朝鮮人で、私は7歳になると地元の朝鮮初中級学校に入学した。
下関朝鮮初中級学校で一緒だった44人の同級生のうち、4人とは後に北朝鮮で再会した。残りの40人は今頃どうしているのだろう。社会人として活躍しているか、あるいは引退して余生を送りながら、当時の写真を見ているに違いない。今でもあの時の同級生に会いたくてたまらない。