(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
遠隔地に移された有力武将たち
1590年(天正18)、小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、徳川家康を関東に封じた。徳川氏の本領は三河だったが、長年にわたる家康の努力によって、この頃には遠江・駿河・甲斐と領地を広げていた。したがって、秀吉は家康と家臣たちに、慣れ親しんだ土地を離れて、遠い国に〝転勤〟するよう命じたことになる。
もともと、秀吉は織田信長の家臣、家康は信長の同盟者(格下の)だった。信長の横死後に両者は対立し、1584年(天正12)の小牧・長久手合戦で干戈を交えたものの、結局は家康が政治的に屈する形となった。家康の関東転封は、その6年後であるため、秀吉が家康を遠ざけた、と考える人が多い。