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【拉致問題アワー #472】菅首相の誕生~混沌の時代に私たちは何をすべきか [桜R2/9/16] [ ●拉致問題]

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石田三成に徳川家臣・本多忠勝はなぜ頭を下げたのか [3)日本の歴史]

石田三成に徳川家臣・本多忠勝はなぜ頭を下げたのか

真説・関ヶ原合戦(3)
2020.9.16(水)乃至 政彦


左・石田三成像(東京大学史料編纂所模写) 右・本多忠勝像(良玄寺蔵)

(乃至 政彦:歴史家)

関ヶ原の主役とも言える石田三成と徳川家康。不仲であったと言われるが、同時代の史料を見る限り、ふたりの間にそれほど深刻な対立は感じられない。それどころか、どちらも豊臣公儀の維持のため尽力しており、ときに相互協力をも惜しまなかった様子がある。合戦が起こった経緯、徳川家臣・本多忠勝が敗者・三成にとった行動を辿れば、三成のひととなりが見えてくる。 (JBpress)

石田三成と徳川家康の関係

 石田三成徳川家康は不仲であったと言われている。

 そうした印象に基づいて両者の動きを見ていくと、関ヶ原合戦は、三成の主家への忠心と、老獪な家康の野心がぶつかったもののように見えてくる。

 しかし、同時代の史料を見る限り、ふたりの間にそれほど深刻な対立は感じられない。それどころか、どちらも豊臣公儀の維持のため尽力しており、ときに相互協力をも惜しまなかった様子があるようだ。

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中国の海洋進出を容易にするタイ運河建設計画

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PeterHermesFurian / khvost / iStock / Getty Images Plus

 中国はインドとの対立やアフリカ、中東、地中海などに対する戦略的野心を抱えながらインド洋への進出を強めている。その際の最大の弱みはマラッカ海峡である。海峡は中国の海上貿易の生命線であり、中国海軍の東南アジアそしてさらに西への進出の通路であるが、「マラッカのジレンマ」という言葉がある通り、中国としては、一つの狭い難所への依存を減らすことが重要である。こうした文脈において、一帯一路の野心的なプロジェクトとして出ているのが、マレー半島で最も狭いタイ南部のクラ地峡に運河を建設し、中国からインド洋への第二の海路を開く計画である。この運河ができれば、インド洋、アフリカ、中東などへの中国の軍事的進出を容易にし、中国にとって戦略的に重要な資産になる。

 タイではアンダマン海とシャム湾を結ぶ運河の計画は昔からしばしば議論されており、1677年に初めて運河建設が言及されて以降、1793年にはラーマ1世の弟が一時アンダマン海側のタイの防衛強化の観点から計画し、1882年にはスエズ運河の建設者レセップスが地域を訪問している。1973年には米国、フランス、日本、タイの4か国が合同で平和的核爆発を用いた運河建設を提案したが実現しなかった。

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