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【歴史の転換点から】大獄に死す-松陰と左内の「奇跡」(4)本当に彼は刑死前に泣いたのか [3)日本の歴史]

【歴史の転換点から】大獄に死す-松陰と左内の「奇跡」(4)本当に彼は刑死前に泣いたのか

(4)用1
橋本左内像。りりしいがどこか悲しげである=福井市左内町の左内公園(関厚夫撮影)
 〈斬首役人が白刃を抜き、左内の背後へ廻って、/「よろしいか」/と声をかけた。すると左内が突然、/「しばらく待て-」/と制した。/そして、ああ…じつに左内は、双手で面を蔽(おお)いながら流泪(るるい)滂沱(ぼうだ)として泣いたのである
山本周五郎が描いた「左内死す」の瞬間
 国民作家、山本周五郎が昭和10(1935)年に発表した『橋本左内』の一節である。ときは安政6(1859)年10月7日(旧暦、現在の11月1日)、場所は江戸・伝馬町牢屋敷の刑場。「安政の大獄」に巻き込まれ、評定所で死刑を言い渡された数えで26歳の越前福井藩士、橋本左内が絶命する直前の描写である。
 この短編評伝で周五郎は次に「左内は死を悲しんで泣いたか?」と読者に問いかけたあと、即座に「いや!」と断言し、以下のように続けている。
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【語り継ぎたい天皇の和歌】自然の景観を御自身の思いにつなげる [2)皇室・ニュース]

【語り継ぎたい天皇の和歌】自然の景観を御自身の思いにつなげる

 御存知、『小倉百人一首』におさめられた有名な御製(和歌)です。『小倉百人一首』では掲出歌の表記となり、出典となった『後撰和歌集』では「淵となりける」と表記されています。

 第57代陽成天皇が、父帝である清和天皇から譲位されたのはわずか9歳のときでした。平安時代、父帝の時代には在原業平、小野小町ら六歌仙が活躍し、陽成天皇の時代には「六国史」の一つ「日本文徳天皇実録」が編纂されています。

 男体山・女体山の二峰からなる茨城県の筑波山は、上代から男女が歌を詠みあって交流した自由な恋の場として知られた所でした。「みなの川」は、漢字で書けば「男女川」。筑波山に発し、桜川に合流し、霞ケ浦に注ぐ川です。

 

 

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