【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(6)西郷と勝 家近良樹教授に聞く(上)西郷の離れわざ [2)日本の歴史]
【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(6)西郷と勝 家近良樹教授に聞く(上)西郷の離れわざ
「我が尽力今日に及びしもの、瓦解に到らしむ。憎むべきの極(きわみ)也」-。慶応4(後の明治元=1868)年5月15日(旧暦)、勝海舟は「幕末日記」にそう刻んだ。この日早朝、新政府軍は上野・寛永寺に立てこもる旧幕府武闘派・彰義隊に対する総攻撃を開始、夕方までに彰義隊は壊滅した。
それまで勝は、「江戸の治安回復」を理由として水戸に謹慎中の前将軍、徳川慶喜の早期江戸帰還と徳川宗家に対する減封の最小化を新政府に働きかけてきた。が、この上野戦争における「完勝」は画期となった。江戸を名実ともに掌握した新政府が慶喜の帰還を認めるはずもなく、徳川宗家はまもなく、旧幕府時代の約6分の1にあたる70万石に減封されたうえ、駿河への転封を命じられる。
タグ:歴史の転換点から