筆者が高校時代、数百人いた同級生の何人が男か女か迷っていただろうか、ほとんどいなかったように思える。
そう考えると、文明や文化の進歩か退化かは判然としないが、LGBTを表舞台に引き出したのは医学の進歩とマスコミなどの報道ではないだろうか。
杉田水脈衆議院議員が月刊誌『新潮45』8月号(2018年)で書いた「『LGBT』支援の度が過ぎる」が議論になっている。
論旨を問題視し議論することは大いに結構であるが、どちらかというと、社会の批判に阿るあまりの、批判のための批判になっていないだろうか。ましてや一部週刊誌の個人攻撃は問題を散逸させるだけである。
先の国会におけるモリ・カケ問題は「生産性がなかった」ということができよう。緊迫する内外情勢に対応した議論が必要な時に、国会も報道もモリ・カケに時間をかけ過ぎたからである。
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