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自民・長尾たかし 国保不正使用事案 理不尽な制度を追及 [【動】国会]

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【教育動向】高校からの「大学附属校」志望者が増えている理由 [❹教育]

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【教育動向】高校からの「大学附属校」志望者が増えている理由

 近年、中学入試での「大学附属校人気」が話題となっていますが、高校入試でも大学附属校に志望者が集まる傾向が見られます。今回はその背景についてお話しします。

大学入試改革・私立大学定員厳格化の影響 探究型学習への期待も

 いわゆる「附属校人気」の背景には、2021年1月から実施される大学入試改革とともに、私立大学に対する「定員厳格化」の影響があります。定員厳格化は地方の活性化のために東京の23区内の私立大学に学生が集中するのを防ぐための政策で、早慶、MARCHをはじめとする多くの有名私立大学で合格者が絞り込まれ、2017年、2018年の私立大学入試は非常に厳しいものになりました。そのため、併設大学への進学がある程度保証される附属校の志望者が増えているのです。

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タグ:教育動向
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ベートーベンの「交響曲第9番」は大正7年6月1日に初めて日本で演奏された

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【産経抄】6月1日

 ベートーベンの「交響曲第9番」が、ウィーンで初演されたのは、1824年の5月だった。すでにほとんど耳が聞こえなかったベートーベンは、聴衆の拍手に気づかず、作品の出来栄えを確認することもかなわなかった。

 ▼この曲はやがてドイツのみならず、「人類の遺産」として世界中で愛されるようになる。とりわけ日本では年末の風物詩として、毎年100回を超える演奏会が開かれる。「第九」にとって、第二の故国といえるだろう。

 ▼その原点をたどると、第一次世界大戦の最中、徳島県鳴門市に開設された板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所にいきつく。中国・青島で日本軍の捕虜となったドイツ兵約4700人のうち、千人が収容されていた。

 ▼所長の松江豊寿(とよひさ)は、ドイツ人捕虜の待遇に心を配り、地元民との交流を進めたことで知られる。そのために、軍上層部との衝突も辞さなかった。会津藩士の家に生まれた松江は、父親から戊辰戦争における会津の屈辱を聞かされて育った。だからこそ、ドイツ人捕虜に対して「武士の情け」を示し続けた。

 ▼収容所内では、パンやソーセージが作られ、スポーツや芸術活動も盛んだった。その一つとして、大正7年6月1日に演奏された「第九」が、日本いやアジアでの初演とされる。45人編成のオーケストラに4人の独唱と約80人の合唱団で構成されていた。当然ながら、女声だけは望むべくもなかった。

 ▼ちょうど100年となる本日、収容所跡地近くに建設された鳴門市ドイツ館で、当時をそっくりそのまま再現する演奏会が開催される捕虜たちが望郷の念にかられ涙を浮かべながら歌った「歓喜の歌」は、今や欧州全体を象徴する歌となった。初めて聞く日本人の心に、どのように響いたのだろう。

 


タグ:産経抄
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大学入試も入社試験にも大いに役立つ「俳句」の薦め [❹教育]

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大学入試も入社試験にも大いに役立つ「俳句」の薦め

徹底的に文字を削った後に大きく広がる世界を経験してみよう

2018.6.1(金) 伊東 乾
「難民は有用な人材」 日本企業に雇用の動き

日本企業に貴重な戦力として難民の採用広がる。日本語能力も高く。(2018年3月19日撮影)。(c)AFP PHOTO / KAZUHIRO NOGI〔AFPBB News

 突然ですが「俳句」の話をしましょう。

 中学高校生に「俳句」の話などすると、ときに興味を持ってくれることがあります。しかし、その親御さんなどには、まずもって興味を持たれません。

 「入試に出ないから」というのが、その理由の一つなのですが、果たしてそうでしょうか?

 私が俳句というものを初めて知ったのは、父親が肺がんで、そのまま死の床となった小学校1年の時でした。いかんせん、病院でヒマだったのでしょう、秋葉原の三井記念病院で親父はあれこれ 5-7-5 と文字を並べて無聊を慰めておりました。

 子供ですので親のやることはすぐマネをしてみたくなります。私も6歳にして、身の回りのあれやこれやを 7-5-7 とか 7-7 で並べてみる遊びを生活に取り入れることとなりました。

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タグ:「俳句」
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大学教育と呼べるのか? 教職課程教育の画一化 [❹教育]

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大学教育と呼べるのか? 教職課程教育の画一化

文科省に揺さぶられる大学の教員養成(3)

2018.6.1(金) 児美川 孝一郎
大学の教職課程はどこへ向かうのか。

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 前回の記事では、教職課程のコアカリキュラムは、2000年代以降、折に触れてその必要性が主張されてきたものではあるが、その内実が、教職課程のカリキュラムの「モデル」「参考とすべき指針」ではなく、突如として、課程認定の審査基準にもなる形で「国家基準」化されたのは、まさに今回の教職課程の再課程認定においてであることを指摘した。

 そうした「国家基準」化の問題点がどこにあり、今後の大学における教員養成にどのような影響を及ぼすのかについて考えてみたい。

はじめの一歩でしかない・・・

 まず、確認しておかなくてはいけないが、今回の再課程認定において提示された「教職課程コアカリキュラム」は、教職課程における「教職に関する科目*」に関してのみである。

 ただし、そうなった理由は、文科省の側で「国家基準」化に対する躊躇が働いたためというよりは、「教科に関する科目」が、学校種の違いや教科の数を想像すれば容易に分かるように、あまりに多岐にわたるからである。率直に言ってしまえば、すでに存在する「英語教育コアカリキュラム」(文科省の委託事業として、東京学芸大学が2015~16年度に作成)を除けば、作成が間に合わなかったと考えたほうがよい。

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タグ:大学教育
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