【新聞に喝!】相撲人以外は土俵に上げるな 女人禁制問題、男女以外の視点でも 京都大学霊長類研究所教授・正高信男 [2)伝統・文化]
約40年前に大学院に入学した際、副専攻で異文化研究のゼミに参加した。伝統社会における祭祀(さいし)など儀礼研究が盛んだったが、多くの調査対象地域の政情は不安定で祭祀どころではないようだった。ところがゼミの教授は「ばか野郎、人間というのは飢え死にしてでも儀礼だけは欠かさない生き物なんだ」と言った。
乱暴な言い方にあきれたことを記憶している。しかしその後、自分でいくつもの伝統社会を跋渉(ばっしょう)してみて名言であったと感心する今日である。人命より祭祀を重視する文化は地球上に珍しくない。世界には、西洋近代社会の尺度で測りきれない価値観を有する地域があまた存在する。
【原坂一郎の子育て相談】叱られているのにニヤニヤ笑う [3)ライフ]
【川村妙慶の人生相談】ささいなことで怒ってしまう [3)ライフ]
【川村妙慶の人生相談】ささいなことで怒ってしまう
相談
ささいなことで怒鳴ってしまいます。電話をしていて腹が立つと職場中に響くような声を出すことはしょっちゅうで、受話器を投げつけるように切ることもあります。先日は、出入りの業者が配送品を間違えた際に、大声で怒鳴りました。相手は私よりも年上で、丁寧に謝っているのに、30分以上も叱責しました。
怒鳴らなくてもいい場面だと分かっていても、抑えがききません。怒鳴っているうちにどんどん頭に血が上ってしまいます。以前はこんな風ではなかったのですが、だんだん怒りっぽくなりました。怒りにまかせて大声を出した後に、ひどい自己嫌悪を感じることもあります。
私が怒鳴ると、職場の空気が凍りつくのを感じています。談笑しているのに、私が入室すると静かになることもあります。管理職を務めていますが、人望のなさに嫌気がさします。どうしたら感情をコントロールできるでしょうか。(東京都、40代男性)
【高論卓説】いま求められている金融機関の「デットガバナンス」とは [1)経営・ビジネス]
【高論卓説】いま求められている金融機関の「デットガバナンス」とは
全国銀行協会の新会長に藤原弘治氏(みずほ銀行頭取)が就任、4月2日の就任後初の記者会見で、次のような興味深い質問が飛んだ。「東芝も含め、昨年、企業の不祥事であるとか、業績が不振に陥った企業がたくさんあったが、そういった企業に対するデットガバナンスの考え方を教えてほしい」。デットガバナンスは金融機関が借り手企業の経営を監視することだ。
これに対して藤原会長は「デットガバナンスは古くて新しい問題である。スチュワードシップ・コード(責任ある機関投資家の諸原則)を通じたエクイティ(株式)によるガバナンス(企業統治)と併せて、資金供給者である銀行による伝統的なデットガバナンスについても、時代に合わせた対応が期待されていると思う」と述べた。さらに「継続的な対話を通じて企業の事業内容や成長可能性を深く理解した上で、企業の経営課題を共有し、その解決に向けて資金供給や非金融面でのアドバイザリー、ソリューションを提供していくことが重要な観点かと思う」と語った。
母の日・・同じ国民として、忘れてはならない「母」がここにも一人いる
【産経抄】5月13日
誰の手も借りることなく2本の足で立った人はいない。「だけど…大きくなると、この体の中に、母の乳がながれて赤くなっていることは忘れてしまっていますからね」。吉川英治の小説にあったセリフを思い出す。
▼身過ぎ世過ぎのすべは自分で身につけたものだから-と、すねをかじるだけかじった時代の記憶など、都合良く忘れ去っている。小欄は猛省が必要な忘恩組の一人らしい。きょう13日は「母の日」である。そう聞いて日頃の無沙汰に肩をすくめたご同輩も多かろう。
▼福井県坂井市などが昨年度に公募し、入選作を集めて出版した『日本一短い手紙「母へ」』(中央経済社)の1通に「ママすきじゃない。だーいすき」とあった。4歳の女の子が母に宛てた手紙という。「すき」の2文字に収まらない母への思いがほろりとさせる。
▼無垢(むく)な心情の発露は子供だけの特権でもないらしい。「私がお母さんに一番可愛(かわい)がられたと思っていた。だけど弟も妹も同じことを言うんだよ」。こうつづったのは74歳の男性である。照れや恥じらいを捨て、体内を巡る「母の乳」の温度を確かめてみるのもいい。
▼時節柄、思い浮かべるのは拉致被害者の家族である。さらわれた人がいて、涙に暮れた母がいる。長女、めぐみさんの帰りを待つ横田早紀江さんにとってはつらい季節だろう。「お母さんは本当に強いですね」。講演で各地を訪れる度、こう声をかけられるという。
▼「私はもう…さんざん、泣いてきたから、最近は涙も出ません」。先日まで小紙に連載された『私の拉致取材 40年目の検証』に、痛々しい言葉があった。母と娘を隔てる歳月に一日も早い終止符をと心から願う。同じ国民として、忘れてはならない「母」がここにも一人いる。