連合国軍総司令部(GHQ)が置かれた占領下の第一生命ビル(1950年撮影、写真:近現代PL/アフロ)

(古森 義久:日本戦略研究フォーラム顧問、産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 5月3日は憲法記念日だった。1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念する日である。この日の前後は憲法をめぐる論議が一段と高まる。だがこの憲法がアメリカの占領軍によっていかに作られたか、いかに不自然で欠陥に満ちているか、への言及は少ない。

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<以下抜粋>

 ケーディス氏らは日本国憲法案を作成するにあたって大幅な自己裁量が認められていたが、この点だけは必ず盛り込むようにという数項目の指示があった。この指示は簡潔な用紙に書かれていた。ケーディス氏はこの用紙を直属の上官の民政局長ホイットニー将軍から受け取った。だが原文はマッカーサー司令官が口述筆記させたようだったという。以後、「マッカーサー・ノート」として歴史に残る指示だった。その点についてケーディス氏は私の質問に答えて、以下のように答えた。

その指示には私の記憶では『日本は自国の防衛のためでさえも戦争を放棄する』という趣旨の記述がありました。この点については私は道理に合わないと思いました。すべての国は自己保存のための固有の自衛の権利を持っているからです」

だから私は第9条の草案を書くとき、その部分をあえて削除しました。私自身がその『自衛のための戦争をも否定』という部分をあえて落としたことをはっきり覚えています。そのことについて後からホイットニー将軍から『君はその部分を草案に含めなかったではないか』と問われました」

「私は『その部分は現実的ではなかったので削除したのです』と答え、『一国が外国から侵略を受けてもなお自国を防衛できないと主張はできないでしょう』と説きました。ホイットニー将軍は結局、私の言い分に同調しました。マッカーサー元帥もそれを承認しました」