オリンピックもパラリンピックも終わった(以下、パラリンピックも含めてオリンピックと書く)。今回の東京オリンピックほど多くの議論を呼んだオリンピックはなかっただろう。しかし、オリンピックについて議論するとき、一番肝心な視点が抜けている。オリンピックはあくまでも「興行」であるということだ。競技種目の数が桁違いに大きいにしてもスポーツ興行であることは間違いない。

 興行とは、何か素晴らしいものをお客に見せるか聴かせるかしてお金を取るというものである。興行師は客を集め、料金を取り、出演するスターにお金を払う。ところが、オリンピックの興行師は出演者にお金を払わない。なぜこんなことが可能なのだろうか。それがオリンピックの価値というものだが、その価値の維持がさまざまな矛盾を引き起こす。

(ロイター/アフロ)

オリンピックが持つ「崇高な理念」

 普段は高いギャラを取っていても、オリンピックにはギャラなしでも出場したがる選手が多数いる。それはオリンピックが選手と競技の社会的認知度を上げるからだ。

 マイナー競技の選手なら、いつもとは違う多様な観客の前で競技の素晴らしさを見せ、多くの人々の関心を集めることができる。メジャースポーツでも、より広い範囲の観客の前でゲームの素晴らしさを見せることができる。それを通じて、企業スポンサーを集め、CM出演のチャンスを拡大することができる。

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