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【喝!日本】三島由紀夫没後50年で高まる若者の関心 日本を憂えた「義挙」の意味と重い「覚悟」 [1)憂国]

喝!日本】三島由紀夫没後50年で高まる若者の関心 日本を憂えた「義挙」の意味と重い「覚悟」

三島由紀夫は、市ケ谷駐屯地のバルコニーで最後の演説をした=1970年11月25日
三島由紀夫は、市ケ谷駐屯地のバルコニーで最後の演説をした=1970年11月25日

 日本を代表する作家、三島由紀夫が、東京・市谷の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室に立てこもり、日本国憲法は戦後の「偽善」の根源であり、日本の文化・伝統を抹殺するものだと、警鐘を促しながら自刃した衝撃的な出来事から50年がたった。決起そのものは歴史に埋もれつつあるが、ようやく時代が追いついてきたのか、三島らが訴えた緊張感が、決起を知らない現代の若者たちにも伝わりつつあるという。

 その日、総監室で何が起きていたのか。総監室に突入した元陸将補の寺尾克美氏(91)は50年前の出来事を今も鮮明に覚えている。寺尾氏の証言からは、改めて三島らの重い「覚悟」が伝わってくる。

 寺尾氏らが総監室近くの会議室で予算の審議をしていると、ドアが激しくたたかれた。「総監が監禁された」。全員で総監室に駆け付けたが、正面ドアは内カギがかけられていて開かない。二手に分かれた。まず1人が総監室につながる幕僚長室から入ろうとドアを開けると、三島が日本刀で切り付けてきた。模造刀と思い左手で刃をつかむと、手は2つに裂け鮮血が天井まで吹き上がった。

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