【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(5)西郷と勝 慶喜は激怒したのか [2)日本の歴史]
【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(5)西郷と勝 慶喜は激怒したのか
「鶴の一声」に泣く
「なぜ明日の江戸城総攻撃は中止なのか。旧幕府側から勝海舟が出て来たというが、勝の言うとおりにするとはどういうことだ!」
新政府の東山道先鋒(せんぽう)総督府参謀、板垣退助は東海道先鋒総督府にいた西郷隆盛のもとにそう怒鳴り込んできたという。再び大村藩士で新政府軍幹部の渡辺清の証言だ(『史談会速記録 第68集「江城攻撃中止始末」』)。
勝・西郷会談が行われた慶応4(後の明治元=1868)年3月14日(旧暦)夜、翌日に迫った江戸城総攻撃は中止-との飛報が臨戦待機中の東山道・北陸道各先鋒総督府に届いた。土佐藩士の板垣は後に自由民権運動の指導者として名を残すが、甲斐(山梨県)で新選組局長だった近藤勇が率いる旧幕府軍を一蹴したことをはじめ、戊辰戦争では輝かしい武功を誇る軍人として知られた。
タグ:歴史の転換点から
コメント 0