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【ヤマトタケルのまほろば 第4部】父と叔母(1)東征 命じられた難業 [3)日本の歴史]

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2016.11.14 16:00

【ヤマトタケルのまほろば 第4部】父と叔母(1)東征 命じられた難業

景行天皇の宮とされる纒向(まきむく)日代宮跡近くから見た奈良盆地。ヤマトタケルはこの地から東征に出発した =奈良県桜井市(恵守乾撮影)  

 「東の方十(とをあまり)二道(ふたみち)の荒ぶる神とまつろはぬ人等を、言向け和平(やは)せ」

 西征して熊曽建(くまそたける)と出雲建を討った倭建命(やまとたけるのみこと)に対して、父の12代景行天皇はそう命じた、と古事記は記す。東の方十二道とは、大和から見た東方諸国のことで一般に、尾張の東から陸奥までを指すといわれる。その広大な地域の荒れて従わない神、服従しない民を従わせ、平定せよというのである。

 〈吉備臣等(きびのおみら)が祖(おや)、名は御●友耳建日子(みすきともみみたけひこ。●=金へんに組のつくり)を副(そ)へて遣はす時に、比々羅木(ひひらぎ)の八尋矛(やひろぼこ)を給ふ〉

 天皇は、ヤマトタケルの義兄を副将とし、呪力があるとされる王権の象徴、柊の長い矛を与えた、と古事記は書く。

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タグ:神話
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