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「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。(中略)この一矢(ひとや)に定むべしと思へ」。

2015.8.2 05:03更新

【産経抄】
8月2日

 将棋の羽生善治棋聖は対局で初めての土地を訪れた際、地図を持たずに現地を歩くという。ときには方角を失い、道に迷う。人に尋ねながら宿舎に戻る。予定や想定から外れた場所に自身を置くことで、目的地を探り当てる嗅覚を鍛えるのだ、と。

 ▼将棋にたとえるなら、若い日々は未知の局面の連続だろう。地図も方位磁石もない中で「自分は何者か」「何を志す者か」と問いを重ね、それでも答えが煮詰まらない。就職活動という難局を前にして、思い通りに働かぬ嗅覚にいらだちを募らせる若者も多かろう。

 ▼来春卒業予定の学生を対象とする企業の採用選考が、1日に解禁された。学業優先を掲げる政府の求めで、例年より4カ月遅れのスタートである。上着を小脇に抱える一団を、きのうは都心で見かけた。面接を控えた学生たちであろう。夏の陣に果報あれ、と願う。

 ▼黒や濃紺の上下は、炎暑でも手放せない戦闘服と聞く。「売り手市場」の恩恵を感じるゆとりなど、学生たちにはあるまい。「志望動機は」「あなたの長所は」。面接官との息詰まる問答の中で、自分が「何者」かを伝えるには場数が要る。気力、胆力、運が要る。

 ▼小欄も二十数年前、戦線をくぐり抜けている。圧迫に近い面接で答えに窮し、それでも小紙記者という職を得た。記憶にない起死回生の一手を指したのだろう。〈口下手が大器に見える新社員〉(講談社『平成サラリーマン川柳傑作選』)という心強い一句もある。

 ▼すわ本命企業-と勇む学生には、『徒然草』の一節を贈る。弓で的を射ようとする者の心得に、こうある。「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。(中略)この一矢(ひとや)に定むべしと思へ」。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、と先人も教えている。


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